大阪の街に眠る“古代日本の神秘”を訪ねて
福岡市で警備員として働く私が今回向かったのは、大阪府に広がる世界遺産「百舌鳥・古市古墳群-古代日本の墳墓群-」。古代日本の王や有力者たちが眠るこの地には、教科書でしか見たことのなかった壮大な歴史が今も息づいています。中年になり、仕事にも人生にも少し余裕ができたからこそ感じる、過去との対話の時間。今回はそんな旅路を記録として残しておきたいと思います。
百舌鳥・古市古墳群の場所と気候
この世界遺産は大阪府南部の堺市(百舌鳥エリア)と羽曳野市・藤井寺市(古市エリア)に広がっています。市街地の中に突然現れる巨大な緑のマウンド群。それが古墳群です。
気候は典型的な大阪平野型。夏は蒸し暑く、冬は冷え込みますが積雪はまれです。春と秋は気温も湿度も落ち着いており、古墳群巡りにはまさにベストシーズン。私は初夏の5月下旬に訪れましたが、新緑と青空のコントラストが非常に美しく、カメラ片手に歩くのが楽しくて仕方ありませんでした。
古墳群の歴史と特徴とは
百舌鳥・古市古墳群は3世紀後半から6世紀前半にかけて築かれた古墳の集合体です。なかでも最大の古墳である「大仙古墳(伝・仁徳天皇陵古墳)」は全長約486メートルと、まるで空からしか全貌が分からないほどのスケール。前方後円墳と呼ばれる鍵穴型の独特な形状は、世界的にも稀有なものです。
これらの古墳は、当時の権力者が自身の死後も威厳を誇示するために築いたものとされています。周囲を取り囲む濠(ほり)、封土(ふうど)、そして葬送儀礼に使われたと考えられる祭祀施設の痕跡も残されており、古代日本の社会構造や宗教観を色濃く伝えてくれます。
文化的・宗教的価値と世界遺産登録の意義
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されたのは2019年。その理由は、古墳という形式が日本列島に特有であること、そしてそれが当時の王権を象徴する巨大なモニュメントであることにあります。
古墳は単なる墓ではなく、「神聖なる空間」としての役割を持っていました。祭祀や儀礼を通じて人々は死者と向き合い、死を超えた存在と生きる者とのつながりを確認していたのです。中年の私にとっても、「死後をどう迎えるか」というテーマに自然と意識が向くようになり、古墳の前では思わず手を合わせてしまいました。
実際に訪れてわかった古墳群の魅力
私が最も心を打たれたのは、仁徳天皇陵古墳の圧倒的なスケール感です。近くで見ると、緑に包まれた山のようにしか見えませんが、地図や航空写真を見て初めてその形が分かるという不思議な体験。現地ではドローン撮影は禁止ですが、近くの堺市役所の展望ロビーから全体を俯瞰できるスポットがあるので、ぜひ立ち寄ってみてください。
また、百舌鳥古墳群ビジターセンターでは、古墳の構造模型や出土品のレプリカなども展示されており、知識が深まることで見学の楽しみも倍増します。
年間訪問者数と国内外からの関心
この古墳群は世界遺産登録以降、年間でおよそ100万人を超える観光客が訪れるようになりました。特に週末や祝日は地元住民や修学旅行生、そして海外からの訪問者で賑わっています。
一方で、大阪市街からのアクセスが良いため、混雑しても散策に困ることはありません。比較的静かな古墳も多く、自分のペースでゆっくり回れるのも大きな魅力の一つです。
私が辿った旅行ルートとおすすめポイント
私の旅は新大阪駅から始まりました。JR阪和線に乗って堺市駅へ。そこからはレンタサイクルで大仙公園を中心に百舌鳥古墳群を巡ります。
・まずは「堺市博物館」で予備知識を得る
・続いて「仁徳天皇陵古墳」を外周からじっくり歩いてみる
・「履中天皇陵古墳」など周辺の古墳にも足を伸ばす
・お昼は地元の和食店で「大阪寿司」と「古墳カレー」を堪能
・午後からは羽曳野方面へ電車で移動し、古市古墳群へ
時間があれば「誉田八幡宮」など信仰の名所も訪れてみてください。古墳と神社が共に存在する姿に、日本人の自然観と死生観が色濃く感じられます。
中年だからこそ感じる“古代”との静かな対話
若い頃は、古墳なんてただの土の山だと思っていた私。でも今では、その一つ一つに積み重ねられた歴史や祈りを感じ取ることができました。仕事で忙しい日々から少しだけ離れ、静かに、しかし確実に「何か」を受け取れる時間。古墳の前に立つと、自分の人生もまた大きな流れの一部なのだと感じられるのです。
次の旅先もまた、そんな歴史の響きを求めて歩きたい。古代と現代が交差する世界遺産・百舌鳥・古市古墳群は、中年の一人旅にこそふさわしい場所でした。